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【伝統的教会文化の普遍性】
ヨーロッパの音楽、芸術、ち文学、歴史などを理解するうえで抜きにできないキリスト教。
荘厳な聖歌やパイプオルガン、ゴシック聖堂、はたまた素朴であたたかみのある民間のお祭りなど、欧州のキリスト教の文化は地域差を超えて、遠い極東の人々の心をも強く惹きつける魅力に溢れます。
また、苦難の歴史を歩んできたイスラエルとドイツ、アイルランドなどで、人々の切なる祈りのうちに受け継がれてきたキリスト教には、深い人間洞察と、力強い慰めと癒しの力があります。
年間自殺者3万人、抑うつ患者は数知れず、かつてない殺伐とした弱者切り捨ての病的社会となりつつある日本にあって、若者のヒーリングブーム・パワースポットブームなど、精神的な癒しを宗教的神秘体験に求める需要が高まっています。伝統的キリスト教文化と信仰的霊性には、それに力強く応え得る力があるはずです。
【既存教会の限界】
しかし、現実の日本の教会は、残念ながらそういった潜在的需要に対して応えきれていません。
伝統的な教派は
概して熱心な布教活動のようなことは行わないので、実は軽い見学者を無理に引き留めるような心配はないのですが、それは一方では「閉ざされている」とも言えます。町内会的な内輪気質で新来者には敷居が高く感じるうえに、伝統派のカトリックや聖公会でも、歴史的建築の聖堂や古式ゆかしい文化は年々減ってゆく傾向。
目立つのは布教熱心な新興教派ですが、それはメルヘンチックな欧州の教会のイメージとは遠い現代的教団。日本に根付いている神道や仏教の文化ばかりか、古典的なキリスト教の文化までも否定的な傾向がありますし、強い結束組織は、気軽に文化に親しみ癒しを得に行くという寺社詣りのようなゆるい関わり方を許容してくれません。
それはそれで十二分に存在意義があるのですが、ハイテンションでゴスペルを歌ったりするアッパー系な感じが必ずしも若者向けとは限りません。静かで古式ゆかしい建物や聖歌に身をたゆたえて、パーソナルスペースを保ちつつゆるやかに集うほうが落ち着くというダウナー系な方も多いはず。
それはキリスト教のひとつの在り方、実際には様々な教派の違いや、信徒それぞれの立場の違いがあるのです。しかし、こうした純粋主義的な教団ばかりが目立つ結果、キリスト教は近寄りがたい、堅苦しく厳格、あるいはアツすぎる、侘び寂びで多神教の風土とは相容れない…という食わず嫌いを植え付けてしまっています。
これではもったいない!洋服を着て洋食を食べるように、明治以来もっとも身近な(仏教を除いた)外来の宗教・信仰文化として日本人に知られているキリスト教。その文化に親しみ憧れを持つ人、そして潜在的に心の拠り所を求めている人が大勢いるはずなのに、真の理解と自然体の受容を阻む壁がある…その障壁の大きな原因のひとつは、キリスト教界自身の現状にこそあるのではないでしょうか。
【もっと気軽に親しめる体験の場を】
信徒も非信徒も、キリスト教というだけでそんなに気張る必要はありません。少数派なのでどうしても精鋭化しがちな日本のキリスト教ですが、本場ヨーロッパのキリスト教は、伝統文化としてしっかり地についていますし、日本人が寺社にお詣りするように、自然体で身近なものとして気軽に親しまれているのですから。
教会に憧れと抵抗という複雑な思いを抱く非信徒の方々の存在、その潜在的需要の高さと供給不足、そのような方にとって実際の教会の門がいかに重いものかを、主催者は数多くの友人との対話や、自らの経験によって、痛いほど理解しているつもりです。
ですから、「教会の外」のカフェ・ギャラリーといった世俗公共の場にこだわり、「伝道目的」ではない出入り自由で気軽な体験の場を作る必要性を強く感じて、このプロジェクトを興したのです。
【既存宗教との融和・共存】
また、当プロジェクトは韓国やフィリピンのようにキリスト教徒が増えて在来宗教が減るのを望む者でもありません。むしろ逆です。今や日本人にとっても無視できない大きな存在であるキリスト教と、日本在来の神道や仏教、その双方の無理解からくる不幸な不一致を解きほぐし、「ともにある」ことを望む者です。
さまざまな神を祀った神社にも、いろんな宗派のお寺にも、気にせずお詣りするように、もっとキリスト教を気軽で身近な文化として親しんでもらいたいのです。
ヨーロッパだって元々は日本と同じく、森羅万象に神秘を見出し、ギリシア神話・ケルト神話・北欧神話などの神々を拝む多神教徒だったのです。長い時を経てそこに受け入れられていったキリスト教には、融和していった在来信仰の名残が、あたかも日本の神仏習合のように、たくさん残されているのです――中世の昔・辺境の地・素朴な民間の信仰に近づくほど顕著に。
それはキリスト教に混じった不純な汚点などではなく、キリスト教の豊かさと包容力・普遍性はそこにこそあるのですし、私たち極東の民が遠い西の国の信仰文化にふしぎと心惹かれ、どこか懐かしいような親しみを覚える秘密も、そこにあるのかも知れません。
一般の教会では軽視されがちな、このようなキリスト教の周縁的要素にこそ、当プロジェクトでは脚光を当てます。
ですから、どんな宗教素地をお持ちの方でも、無宗教の方でも、当プロジェクトは大歓迎です。
【ささやかな「落ち穂拾い」がミッション】
当プロジェクトは、キリスト教の信徒を増やす「布教・宣教・伝道」が目的の「宗教団体」や「伝道会」ではありません。
教会に憧れと抵抗という複雑な思いを抱く方々に、まずは気軽な「教会風」イベントの体験という形で、教会に古来伝えられてきた祈り文化の魅力と、心の奥深くの癒し・感動体験(教会風に言えば「福音のお恵み」)の片鱗でも味わっていただければ、ミッション達成。
キリスト教徒ではないのに教会音楽や芸術・建築など教会の文化面を味わい惹かれる…それでいいのだろうか…そんな自己矛盾感を抱える方に、そのままでもいいのですよ、それは神さまの目にも立派で、素敵な大切なことですよ、という現状承認感を得ていただければ幸いです。
カフェ・オラトリオでの体験のあと、もしかしたら現実の教会に導かれる入口になるかも知れませんし、体験止まりでも、少なくとも食わず嫌いのまま一生を終えるよりはベターでしょう。それはあくまでご本人次第ですし、教会風に言えば、「もしみ心ならば神さまが采配される」こと。当プロジェクトの領分ではありません。ベストではなくあくまで「ベター」を追求するプロジェクトです。
既存教会が様々な制約上なしきれない、いわば取りこぼしてしまっている潜在的需要に応えるべく、教会の外での「拾遺」的な草の根活動…ほんのささやかな「落ち穂拾い」です。拾った穂が芽吹くかどうかは、神さまにお任せです。
その理想がぶれない限り、既存教会の立場や尊厳を汚すことはなにもないはずです。既存教会、ことにカトリック・アングリカン・ルーテル・正教をはじめとするいわゆる伝統派教会の素晴らしい信仰財産に心から敬意を払い、参加者だけでなくなるべく多くの人にとって喜ばしく、普遍の教会にとって益となるべき活動を心から希求します。
+こんな方にお勧め+
【基本方針・注意書き】
・お祈りタイムには、各宗教・無宗教を超えて誰でもひとときの癒しを感じていただけるよう、伝統的な教会の祈りを参考にしつつ、なるべく宗教色を薄く一般向けにアレンジします。朗読は極力難しい言葉や教会専門用語を避けて、こども向け聖書絵本などを使用したり、やさしく分かりやすい言葉に直して使用します。
また、参加者に宗教的行為を強要は一切いたしません。基本的に「オラトリオ」としてご観覧いただければ結構です。ゆったりと椅子・ソファーにかけて、お茶を飲みながら静かな癒しのひとときをご観覧ください♪
もちろん、気が赴くままともに歌やお祈りに加わっていただくのは大歓迎です。
・今後は当面お祈り要素を大幅に減らして、もっとゆるくキリスト教のあれこれについて談話する座談会を中心に細々と活動してまいります。極力客観的・人文科学的な「キリスト教学」「教会史」の視点からご説明したり、「下世話なキリスト教Q&A」のように教会ではとても話せないぶっちゃけ話のシェアリングなどできればと考えています。
※自前の常設実店舗はありせん。首都圏の素敵なカフェ・ギャラリーを遊牧中です。
※宗教団体ではなく、あくまで草の根文化サークルです。
代表者Trinitas一個人とその都度その都度の個人的有志協力者による非営利文化活動であり、特定宗教団体の布教活動や、「教会カフェ」に類する他の店舗・類似活動とは一切無関係です。
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